音楽の冬景色:森進一、大瀧詠一、森昌子が奏でる「冬のリヴィエラ」

音楽でに心が温まる瞬間を、名曲「冬のリヴィエラ」で感じてみませんか?

森進一のオリジナル曲として知られるこの楽曲は、冬の冷たさと共に心にしみるメロディが魅力です。

さらに、大瀧詠一のセルフカバーでは、彼の独特な音楽スタイルが加わり、また違った味わいを楽しむことができます。

そして、森昌子のカバーによって女性らしい繊細さが加わっています。

この記事では、森進一のオリジナル、大瀧詠一のセルフカバー、そして森昌子のカバー、それぞれのバージョンの魅力を徹底的に比較し、その音楽的な冬景色をお届けします。

【楽曲情報】
リリース:1982年11月21日
レーベル:ビクター
作詞:松本隆 作曲:大滝詠一 編曲:前田憲男

「冬のリヴィエラ」のオリジナル曲は1982年11月にリリースされ、森進一さんによって歌唱されました。

「冬のリヴィエラ」のリビエラは、イタリア語で『海岸』を意味するんだそうです。

ってことは、日本語で通したら『冬の海岸』という何の変哲もない曲名になっちゃってましたよね。

森進一さんが歌う曲名が「リビエラ」というイタリア語を使ったことで、より多くの人を惹きつけたんじゃないでしょうか。

【大瀧詠一セルフカバーバージョン】
大瀧詠一のセルフカバーバージョン「冬のリヴィエラ」は、彼の独特な音楽スタイルが光る一曲です。

森進一のオリジナルが持つ哀愁漂う雰囲気に対し、大瀧詠一のバージョンは、より軽やかで洗練されたアレンジが施されています。

彼の優しいボーカルと、シティポップの要素が強く感じられるサウンドが融合し、聴く者を都会的な冬の風景へと誘います。

特に、ストリングスとコーラスの使い方が絶妙で、楽曲全体に深みを与えています。

大瀧詠一ならではの温かみのあるアレンジが、原曲の持つ哀愁を損なうことなく、新たな魅力を引き出しています。

セルフカバーならではの大瀧詠一の音楽的センスが詰まったこのバージョンは、とても新鮮な感動を与えます。


SUMMER NIGHT IN RIVIERA 大滝詠一 

【森昌子バーバージョン】
森昌子のカバーバージョン「冬のリヴィエラ」は、彼女の持つ力強くも繊細な歌声が際立つ一曲です。

オリジナルの持つ哀愁や切なさをそのままに、森昌子ならではの表現力で楽曲に新たな命を吹き込んでいます。

サビの部分では彼女の声が楽曲の感情を一層引き立て、リスナーの心に深く響きます。

アレンジはオリジナルに忠実でありながらも、彼女の個性がしっかりと感じられる仕上がりとなっています。

バックの演奏もシンプルでありながら、森昌子の歌声と歌唱力が活かされています。


冬のリヴィエラ 森昌子 

【森進一オリジナルバージョン】
森進一のオリジナルバージョン「冬のリヴィエラ」は、日本のポップス史に残る名曲の一つです。

この楽曲は、彼の独特の深い声と哀愁漂う演歌の表現力とポップスが見事に融合し、リスナーの心を揺さぶります。

楽曲のメロディは、大瀧詠一の作曲によるもので、美しい旋律とともに哀愁が漂い、聴く者をその世界に引き込む力があります。

編曲も非常に洗練されており、シンプルながらも効果的なオーケストレーションが、楽曲全体の雰囲気を一層引き立てています。

特に、イントロの美しいストリングスと森進一の声の入りが絶妙で、一瞬で聴く者の心を捉えます。

森進一の歌唱は、細やかなニュアンスと感情表現に優れており、自然と歌詞の世界に入り込んでしまうほどです。

楽曲に込められた感情がダイレクトに伝わり、まるで物語の主人公になったかのような気分になります。

「冬のリヴィエラ」は、森進一の歌手としての実力と大瀧詠一の作曲家としての才能が融合した傑作です。

この曲は、何度聴いてもその魅力は色褪せることがありません。


 冬のリヴィエラ - 森進一 


奥飛騨慕情【1980年リリース】

「奥飛騨慕情」のオリジナル曲は、1980年6月にリリースされ、作詞・作曲を手掛けた竜鉄也さんが歌唱して大ヒットしました。

「奥飛騨慕情」は、有線放送から徐々注目を集めて発売から半年を経過してオリコンのトップ10にランクインという無名の演歌歌手の曲がヒットするパターンを辿ってヒットしました。

約150万枚の売上を記録して1981年に第14回日本有線大賞を受賞しましたが、1981年のシングル売上ランキングでは2位でした。

この年の第1位は、『ルビーの指環』でした。

多くの演歌歌手の皆さんがカバーする中で、藤圭子さんのカバーです。


 藤圭子 奥飛騨慕情


幼いころ竜鉄也さんが奥飛騨を旅したときにつくった曲なんだそうです。


 奥飛騨慕情 竜鉄也


ずっと好きだった【2010年リリース】

「ずっとすきだった」のオリジナル曲は、2010年4月にリリースされ斉藤和義さんによって歌唱されました。

「ずっとすきだった」は、テレビコマーシャルのために作られた曲で、コマーシャルのテーマであった同級会(同窓会)で再会した初恋の人に当時の想いを伝える詞になっています。

このほかにもコマーシャルソングとして採用されています。

同級会の二次会のカラオケで歌ったらウケそうな曲…ですよね。^^!


山崎育三郎 – 「ずっと好きだった」

ジョン・レノン愛用で知られるエピフォン・カジノ(エレキギター)で「ずっと好きだった」を弾く斉藤和義さん…カッコ良すぎますねぇ~


斉藤和義 ずっと好きだった


未来へ【1998年リリース】

「未来へ」のオリジナル曲は、1998年6月にリリースされ女性音楽デュオKiroroによって歌唱されました。

“卒業ソング”で知られている「未来へ」ですが、「未来へ」というタイトルの曲は多く、「未来」と間違えやすい曲でもあります。

合唱コンクールや中高で授業でも歌われているほか、多くのアーティストの皆さんがカバーしています。

カバー曲は、柴咲コウさんです。


柴咲コウ 未来へ

この曲を聴いていると、自分で自分を追い込んでしまっていることに気づかされます。

一番大切な自分を追い込んでしまうのも自分だけど、そこから脱して自分の未来を切り開くことができるのも自分ですよね。^^!


Kiroro 未来へ 


上を向いて歩こう(SUKIYAKI)【1961年リリース】

「上を向いて歩こう」のオリジナル曲は、1961年10月にリリースされ坂本九さんが歌唱しました。

「上を向いて歩こう」は、中村八大氏が自身のリサイタルのために制作した楽曲でしたが、他方から推薦で、坂本九さんのシングル曲としてレコーディングされることになりました。

好調な売れ行きを記録しましたが、坂本九さんの独特な歌い回しが気に入らない当時の保守的な日本の歌謡界では高い評価を受けることはありませんでした。日本レコード大賞にも選ばれていない。

しかし、1962年にヨーロッパで「SUKIYAKI」というタイトルで紹介されると、瞬く間にヒットし、世界中のアーティストによってカバーされ、日本での低い評価は打ち消されました。

世界中の多くのアーティストの皆さんがカバーしている中で忌野清志郎&甲本ヒロトの選曲しました。


上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト 上を向いて歩こう

後世に歌い継がれて欲しい日本を代表する名曲です。


上を向いて歩こう - 上を向いて歩こう