井上陽水の名曲を巡る音楽の旅♪伝説のアルバム『氷の世界』から「白い一日」のカバー曲とオリジナル曲の魅力に迫る!

このブログ記事では、井上陽水の伝説的なアルバム『氷の世界』から生まれた名曲「白い一日」に焦点を当て、
カバー曲とオリジナル曲の魅力に迫ります。

『氷の世界』は、井上陽水のキャリアにおいても特筆すべき作品の一つであり、
その中でも「白い一日」は「帰れない二人」と同様に陽水さんの言葉を借りて表現すれば「誰かと作った曲」です。

オリジナル曲の美しいメロディと深い歌詞が、聴く者の心に深い感動を呼び起こしますが、
「誰かと作った曲」の誰かが小椋佳さんであれば、そちらの曲も聴いてみたくなるものです。

この記事では、『氷の世界』という名盤から生まれた名曲の背景や魅力を探求しながら、
「白い一日」のカバー曲とオリジナル曲の比較を通して、その音楽的な世界に迫ります。

【楽曲情報】
リリース:1973年12月1日
レーベル:ポリドール
作詞:小椋佳 作曲:井上陽水

「白い一日」のオリジナル曲は、1973年12月にリリースされたアルバム曲で、井上陽水さんが歌唱しました。

「白い一日」が収録されたアルバム『氷の世界』の週間オリコンチャートの順位は1位、1975年の年間チャートは1位、1976年の年間チャートは23位でした。

『氷の世界』が伝説のアルバムと言われる所以は、発売から二年後に日本レコード史上初めてLP(エル・ピーレコード)販売100万枚突破の金字塔を打ち立てたアルバムだからです。

累計売上は、140万枚とも150万枚とも言われています。

小椋佳作詞、井上陽水作曲というお二方の融合は、とても繊細で美しく聴く者を惹きつけて止まない曲となっています。

アルバム曲にもかかわらず、倍賞千恵子さん、玉置浩二さん、徳永英明さん、フォークデュオのトワ・エ・モワなど実力派の方々がカバーされています。

カバー曲は、小椋佳さんのセルフカバーです。


 小椋佳  白い一日 

小椋佳バージョンとは、歌詞とメロディがわずかに異なりますが・・・。

決定的に違って聴こえるのは、井上陽水バージョンはギターの響きです。

安田裕美さんのリードギターと陽水さんの声が、シビれちゃいますよね。^^!

「まっ白な陶磁器を~♪ながめては飽きもせず~♪かと言って触れもせず~♪」の『かと言って』の歌い回し(歌い方)が、個人的には気になる部分ですが・・・


 井上陽水  白い一日 


熱中時代の名曲再び♪『ぼくの先生はフィーバー』カバー曲とオリジナル曲の聴き比べ

学校の教室は神聖な場所とされたいた昭和の時代は、先生は生徒たちにとって大きな存在で様々な影響を与えてくれる大人でした。
特に担任の先生は・・・
そんな小学校の担任の先生を描いたTVドラマ熱中時代を象徴する曲が「ぼくの先生はフィーバー」です。

カバー曲とオリジナル曲を聴き比べならドラマ『熱中時代』を思い浮かべたいと思います。

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【楽曲情報】
リリース:1978年10月1日
レーベル:CBSソニー
作詞:橋本淳 作曲:平尾昌晃 編曲:若草恵
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「ぼくの先生はフィーバー」のオリジナル曲は1978年10月にリリースされ、当時子役として活躍していた原田潤さんが歌唱しました。

「ぼくの先生はフィーバー」は、平均視聴率27%を記録した伝説の学園ドラマ『熱中時代』(水谷豊主演)の主題歌でした。

『熱中時代』の第1シリーズの最終話の視聴率は、なんと40.0%を記録し、歴代ドラマ最高視聴率ランキングの5位に輝いています。

「ぼくの先生はフィーバー」のオリコンチャートの順位は最高位は20位となっています。

カバー曲は、2018年7月にリリースしたカバーアルバムに収録した畑中葉子さんです。

人気ドラマのカバー曲ではありますが、カバーしているアーティストが極端に少ない楽曲でもあります。

畑中葉子さんがカバーするのは意外ではありましたが、爽やかなカバー曲に仕上がっています。


 畑中葉子  ぼくの先生はフィーバー 

オールドファンの皆さんにはドラマ『熱中時代』の主題歌として認知されていますが、教育バラエティ番組『世界一受けたい授業』のテーマ曲としても有名ですよね。^^!

子役の原田潤さんの歌声が、ドラマの主人公北野広大先生を見事に歌い現わしていて、曲を聴く度にテンションが上がってしまっていたことを思い出します。

今でも伝説の最終話を観ると、泣いちゃいそうです。


 熱中時代 主題歌 ぼくの先生はフィーバー 


「氷雨」の響き♪カバー曲とオリジナル曲が描く異なる共感の物語

現在では、同じ楽曲がそれぞれの歌手(アーティスト)によって同時期にヒットして、歌番組でも共演する・・・なんてことは滅多にありません。
この記事では、「氷雨」のカバー曲とオリジナル曲を比較しながら、どうして「氷雨」は同時期にカバー曲とオリジナル曲が支持されたのかに迫ります。

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【楽曲情報】佳山明生版(オリジナル)
リリース:1977年12月1日
レーベル:日本コロムビア
作詞・作曲:とまりれん 編曲:竜崎孝路
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【楽曲情報】日野美歌版
リリース:1982年12月5日
レーベル:ユニオンレコード
作詞・作曲:とまりれん 編曲:高田弘
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「氷雨」のオリジナル曲は、1977年12月にリリースされ歌手の佳山明生さんがデビュー曲として歌唱しました。

有線放送などでリクエストが途絶えなかった「氷雨」は、1980年、1981年とリリースを重ね、1982年の再々々リリース後には週間オリコンチャートの順位は2位まで躍進しました。

その後「氷雨」は、1982年12月に日野美歌さんよってリリースされ再ヒットしました。

日野美歌さんの「氷雨」の週間オリコンチャートの順位は5位、週間オリコンチャートは5位でした。

ロングヒットした佳山明生さんの「氷雨」は、1982年後には日野美歌さんとお二人が共にヒットし、歌番組で共演することもありました。
カバー曲は、もちろん日野美歌さんです。


 日野美歌  氷雨 

氷雨は「冬の凍るような冷たい雨やみぞれのこと」を指しますが、意識していないと”今日は氷雨だ!”なんて使えない雨の言葉です。^^!

でも、この時期の雨の日に、「外は冬の雨まだやまぬ~♪この胸を濡らすように~♪」って歌詞を口ずさんでみると、曲名と状況が一致して氷雨を意識しちゃいます。

改めてカバー曲とオリジナル曲を聴き比べて見ると、同じように聴こえていた曲がそれぞれが味わい深く共感を覚えます。

聴く者にとっては、佳山明生さんと日野美歌さんそれぞれの「氷雨」が存在し、どちらかがどちらかを消してしまうような曲では無かったから、共にヒットしたのではないでしょうか。
お二人の歌手が同時に売れてしまったことも納得ですね、「氷雨」は…


 氷雨 佳山明生 


硝子坂♪の魅力:カバー曲とオリジナルの比較、感動の坂道を歩く音楽の旅

「硝子坂」のオリジナル曲は、1977年2月にリリースされ歌手で女優の木之内みどりさんが歌唱しました。

「硝子坂」は、その1か月後に歌手の高田みづえさんのデビューシングルとしてリリースされヒットしました。

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【楽曲情報】(木之内みどり版)
リリース:1977年2月25日
レーベル:NAVレコード
作詞:島武実 作曲:宇崎竜童 編曲:ラスト・ショウ、瀬尾一三

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【楽曲情報】(高田みづえ版)
リリース:1977年3月25日
レーベル:NAVレコード
作詞:島武実 作曲:宇崎竜童 編曲:馬飼野康二
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高田みづえさんの「硝子坂」の週間オリコンチャートの順位は9位、年間チャートは36位でした。。

高田みづえさんの「硝子坂」は、伸びやかな声量で訴求感が強さを感じます。

1977年には3名の女性歌手(由紀さおり、荒木由美子)がカバーしていることには驚きます。

カバー曲は、高田みづえさんを選曲しました。


 硝子坂  高田みづえ 

木之内みどりさんの「硝子坂」は、しっとりとした曲調と声がマッチしています。

オリジナルのリリースから1か月ほどでアレンジが違った曲がリリースされることは、この時代としては珍しいことではありません。

どちらも味のある曲に仕上がっていて聴き比べるのが楽しいですよね。^^!

地名に出てこない「硝子坂」という曲を聴いて、あなたはどんな坂道を思い浮かべますか?


 木之内みどり  硝子坂 


音楽の香り♪「コーヒー・ルンバ」のカバー曲とオリジナル曲、楽曲の深みを味わう

「コーヒールンバ」のオリジナル曲は、1958年にリリースされ、ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニさんがコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲したMoliendo cafe(モリエンド・カフェです。
その後、ホセ・マンソ・ペローニさんの甥にあたるアルパ奏者のウーゴ・ブランコさんが演奏し、ヒットしました。
日本では西田佐知子さんをはじめ、ザ・ピーナッツやあらかはひろしさんらによりカバー版が競作されました。

1980年代にスペイン出身の歌手のフリオ・イグレシアスさんのカバーを機に曲が再評価され、日本でも男性女性を問わず多くのアーティスの皆さんがカバーしました。
1992年にリリースした荻野目洋子さんの「コーヒールンバ」の週間オリコンチャートの順位は35位でした。
カバー曲は、荻野目洋子さんです。


 荻野目洋子/ コーヒー・ルンバ 

コーヒーが初めて日本に紹介されたのは、19世紀末のことだと言われています。^^!

1920年にはコーヒーが大ブームとなり、喫茶店が次々に開店し始めましたが、戦後の混乱期を経て、1980年代以降はスペシャリティコーヒーの台頭が見られ、コーヒーの品質やバラエティに対する関心がたかまりました。

生活の中でのコーヒーシーンがより多様化され、コーヒーがより日常的な飲み物となっていった時期に、続々と「コーヒールンバ」がカバーされていきました。


 コーヒー・ルンバ 西田佐知子 


 Moliendo Cafe ウーゴ・ブランコ