冬のリヴィエラ【1982年リリース】

   
「冬のリヴィエラ」のオリジナル曲は1982年11月にリリースされ、森進一さんによって歌唱されました。

「冬のリヴィエラ」のリビエラは、イタリア語で『海岸』を意味するんだそうです。

ってことは、日本語で通したら『冬の海岸』という何の変哲もない曲名になっちゃってましたよね。

森進一さんが歌う曲名が「リビエラ」というイタリア語を使ったことで、より多くの人を惹きつけたんじゃないでしょうか。

森昌子さんがカバーしているのは、ずいぶん後から知りました。^^!


冬のリヴィエラ 森昌子 

大滝詠一さんの英語詞のセルフカバーもいい感じ…ですね。


SUMMER NIGHT IN RIVIERA 大滝詠一 

「襟裳岬」に続き「冬のリヴィエラ」もポップス風に仕上がった楽曲となっていると言われましたが、どうなんでしょうか?

「襟裳岬」は、作曲者の吉田拓郎さんの思惑とは裏腹に演歌に仕上がっていますが、「冬のリヴィエラ」はポップスに仕上がっていて、演歌っぽくないですよね。^^!

<
冬のリヴィエラ - 森進一 


奥飛騨慕情【1980年リリース】

「奥飛騨慕情」のオリジナル曲は、1980年6月にリリースされ、作詞・作曲を手掛けた竜鉄也さんが歌唱して大ヒットしました。

「奥飛騨慕情」は、有線放送から徐々注目を集めて発売から半年を経過してオリコンのトップ10にランクインという無名の演歌歌手の曲がヒットするパターンを辿ってヒットしました。

約150万枚の売上を記録して1981年に第14回日本有線大賞を受賞しましたが、1981年のシングル売上ランキングでは2位でした。

この年の第1位は、『ルビーの指環』でした。

多くの演歌歌手の皆さんがカバーする中で、藤圭子さんのカバーです。


藤圭子 奥飛騨慕情

幼いころ竜鉄也さんが奥飛騨を旅したときにつくった曲なんだそうです。


奥飛騨慕情 竜鉄也


ずっと好きだった【2010年リリース】

「ずっとすきだった」のオリジナル曲は、2010年4月にリリースされ斉藤和義さんによって歌唱されました。

「ずっとすきだった」は、テレビコマーシャルのために作られた曲で、コマーシャルのテーマであった同級会(同窓会)で再会した初恋の人に当時の想いを伝える詞になっています。

このほかにもコマーシャルソングとして採用されています。

同級会の二次会のカラオケで歌ったらウケそうな曲…ですよね。^^!


山崎育三郎 – 「ずっと好きだった」

ジョン・レノン愛用で知られるエピフォン・カジノ(エレキギター)で「ずっと好きだった」を弾く斉藤和義さん…カッコ良すぎますねぇ~


斉藤和義 ずっと好きだった


未来へ【1998年リリース】

「未来へ」のオリジナル曲は、1998年6月にリリースされ女性音楽デュオKiroroによって歌唱されました。

“卒業ソング”で知られている「未来へ」ですが、「未来へ」というタイトルの曲は多く、「未来」と間違えやすい曲でもあります。

合唱コンクールや中高で授業でも歌われているほか、多くのアーティストの皆さんがカバーしています。

西内まりやさんのカバーソングの動画です。


Nishiuchi Mariya 未来へ

この曲を聴いていると、自分で自分を追い込んでしまっていることに気づかされます。

一番大切な自分を追い込んでしまうのも自分だけど、そこから脱して自分の未来を切り開くことができるのも自分ですよね。^^!


Kiroro 未来へ 

   

    

上を向いて歩こう(SUKIYAKI)【1961年リリース】

「上を向いて歩こう」のオリジナル曲は、1961年10月にリリースされ坂本九さんが歌唱しました。

「上を向いて歩こう」は、中村八大氏が自身のリサイタルのために制作した楽曲でしたが、他方から推薦で、坂本九さんのシングル曲としてレコーディングされることになりました。

好調な売れ行きを記録しましたが、坂本九さんの独特な歌い回しが気に入らない当時の保守的な日本の歌謡界では高い評価を受けることはありませんでした。日本レコード大賞にも選ばれていない。

しかし、1962年にヨーロッパで「SUKIYAKI」というタイトルで紹介されると、瞬く間にヒットし、世界中のアーティストによってカバーされ、日本での低い評価は打ち消されました。

世界中の多くのアーティストの皆さんがカバーしている中で忌野清志郎&甲本ヒロトの選曲しました。


上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト 上を向いて歩こう

後世に歌い継がれて欲しい日本を代表する名曲です。


上を向いて歩こう - 上を向いて歩こう