「つぐない」のオリジナル曲は1984年11月にリリースされ、台湾を代表するアジアの歌姫・テレサ・テンさんが歌唱しました。
「つぐない」の週間オリコンチャートの順位は6位、年間チャートは42位でした。
オリコンのセールスでは44.2万枚となっていますが、150万枚を売り上げたという別の資料もあります。
日本の音楽ファンの強い要望で、1984年に再来日が許可されたテレサ・テンさんは、「つぐない」で日本での再デビューを果たしました。
松田聖子さんの「つぐない」です。
松田聖子 つぐない
日本ではムード歌謡・演歌というイメージが強かったテレサ・テンさんですが、多くのJ-POPなどの曲も歌っていたが印象に残っています。
42歳の若さで亡くなってしまったことはとても残念ですが、テレサ・テンさんの楽曲はずっと歌い継がれて欲しいですね。
テレサ・テン つぐない
「東京砂漠」のオリジナル曲は1976年5月にリリースされ、歌謡グループの内山田洋とクールファイブのボーカル・前川清さんが歌唱しました。
「東京砂漠」の週間オリコンチャートの順位は19位でした。
中森明菜さんがカバーしていたのが意外でしたので、選曲してみました。
東京砂漠 中森明菜
東京砂漠とは東京都を砂漠に例えた単語で、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの年に登場した用語です。
当時問題になっていた公害や交通戦争、都市部の人間関係の希薄化などを象徴しています。
そんな言葉が生まれて12年が経過した1976年にこの「東京砂漠」が曲となりました。
ご当地ソングの響きを超え悲壮感が漂う感じがこの曲の魅力ではないでしょうか。
東京砂漠 内山田洋とクールファイブ
「さよなら」のオリジナル曲は1979年12月にリリースされ、音楽バンド・オフコースのボーカルの小田和正さんが歌唱しました。
「さよなら」の週間オリコンチャートの順位は2位、1980年の年間チャートは9位でした。
上國料 萌衣(かみこくりょう もえ)さんのカバーを選曲してみました。
女性アイドルグループ・アンジュルムのメンバーである上國料萌衣さん世代のカバーは微笑ましいですね。
上國料萌衣 さよなら
「これまで以上に売れることを強く意識して書いた」と語った小田和正さんは、「僕も大好きな一曲です」と曲のことを紹介しています。
オフコースの代表曲であり、オフコースをメジャーに押し上げた一曲と言っていいんじゃないでしょうか。
オフコース さよなら
「ブルー・ライト・ヨコハマ」のオリジナル曲は968年12月25日にリリースされ、歌手で女優のいしだあゆみいしだあゆみさんが歌唱しました。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」の週間オリコンチャートの順位は1位、1969年の年間チャートは3位でした。
第11回日本レコード大賞で作曲賞(筒美京平)を受賞し、累計では150万枚を売り上げミリオンセラーを記録しました。
作曲を手掛けた筒美京平さんの出世曲となった楽曲です。
私が最初に出合った筒美京平さんの楽曲だと記憶しています。
2020年10月7日に死去された筒美京平さんに哀悼の意を表します。
想い出に残る沢山の楽曲をありがとうございました。
カバー曲は、ちあきなおみサンです。
ちあきなおみ ブルー・ライト・ヨコハマ
横浜市が実施したアンケートによると、「ブルー・ライト・ヨコハマ」は横浜市のご当地ソングでは他の追随を許さずNo1と多くの人から愛されている楽曲です。
男性女性を問わず多くの方にカバーされていて、今聴いてもいい曲…ですよね!
ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ
「秋桜」(コスモス)のオリジナル曲は1977年10月にリリースされ、伝説の歌手で女優の山口百恵さんが歌唱しました。
「秋桜」の週間オリコンチャートの順位は3位、1977年の年間チャートは35位でした。
多くの歌手やアーティスの皆さんがカバーしていることからも、『日本の歌百選』は納得ですよね。
数あるカバー曲の中からさだまさしさんのセルフカバーです。
秋桜 さだまさし
元々は「小春日和」というタイトルだった言うから驚きです。
曲を提供したさだまさしさんは、「秋桜」をコスモスと読ませるつもりは無かったんだそうですが、プロデューサーの酒井政利さんの提案で「秋桜」となりました。
私は、この曲のおかげで「小春日和」の読み方を意味を知り、忘れすことがなくなりました。^^!
山口百恵 – 秋桜