どうにもとまらない♪【1972年リリース】

「どうにもとまらない」のオリジナル曲は1972年6月にリリースされ、歌手の山本リンダさんが歌唱しました。

「どうにもとまらない」の週間オリコンチャートの順位は3位、年間チャートは32位でした。

累計では40万枚を売り上げた山本リンダさん最大のヒット曲です。

最初は「恋のカーニバル」というタイトルをつけたそうですが、「どうにもとまらない」と改められたと、後に作詞した阿久悠さんは述べています。

カバーは、ロカビリーがいい感じのバンド『ビスキャッツ』です。


 ロカビリーバンド ビスキャッツ「どうにもとまらない 

『へそ出しルック』の衣装と腰ふりダンス振り付けは、アクション歌謡の先駆け…なんだそうですが、当時の私には刺激てな曲でした。^^!

今、聴いてもパワフルで、ついつい口ずさんでしまいます。


 どうにもとまらない 山本リンダ 


真夜中のドア~Stay With Me~♪【1979年リリース】

真夜中のドア~Stay With Me~」のオリジナル曲は1979年11月5日にリリースされ、歌手で作詞作曲家の・松原みきさんが歌唱しました。

「真夜中のドア~Stay With Me~」の週間オリコンチャートの順位は28位、累計売上は約30万枚を記録しました。

多くの女性アーティストの皆さんがカバーしている「真夜中のドア~Stay With Me~」は、耳に心地良い楽曲です。

インドネシアの歌手・Rainych(レイニッチ)さんのカバーによって、2020年に多くの動画の再生回数によって再び脚光を浴びました。


 Rainych  真夜中のドア~Stay With Me~ 

2004年に44歳の若さで亡くなってしまった松原みきさんの歌が聴けないのはとても残念ですが、日本のシティ・ポップ「真夜中のドア~Stay With Me~」が再び注目され世界中で盛り上がったことは“いいこと”ですよね。^^


 真夜中のドア~Stay With Me~ 松原みき 


乙女座 宮♪【1978年リリース】

「乙女座 宮」のオリジナル曲は1978年2月にリリースされ、歌手で女優だった山口百恵さんが歌唱しました。

「乙女座 宮」の週間オリコンチャートの順位は4位、年間チャートは41位でした。

百恵ちゃんの全盛時代のヒット曲なので、もっと多くのアーティストの皆さんにカバーして欲しいですね。。

同学年の岩崎宏美さんのカバーです。


 乙女座 宮  岩崎宏美

「乙女座 宮」の累計の売上は約31万枚でしたが、当時の人気歌手は年間4曲(3ヵ月に1曲)のペースで新曲をリリースしていました。

当時は当たり前のことでしたが、今考えて見ると凄いペースでしたね。

音楽業界に勢いがあった時代が、改めて懐かしく感じます。


 乙女座 宮 山口百恵 


戦士の休息♪【1978年リリース】

「戦士の休息」のオリジナル曲は1978年8月にリリースされ、グループ・サウンズ出身の歌手・町田義人さんが歌唱しました。

「戦士の休息」は、1978年10月7日に公開された角川映画『野生の証明』の主題歌で、週間オリコンチャートの順位は6位。累計売上は85万枚とも言われています。

映画館に足を運んで『野生の証明』を鑑賞した者にとっては、この映画に主演し女優デビューした薬師丸ひろ子さんのカバーには、何とも感慨深いものがあります。


 薬師丸ひろ子 戦士の休息 

主役の高倉健さんをはじめそうそうたる出演者に惹かれ映画にのめりこんでしまった記憶があって、当時の邦画は公開前の予告(宣伝)からワクワクさせられました。^^!

町田義人さんの歌も良かったです。


 戦士の休息 町田義人 


襟裳岬♪【1974年リリース】

「襟裳岬」のオリジナル曲は1974年1月にリリースされ、森進一さんが歌唱しました。

「襟裳岬」の週間オリコンチャートの順位は6位、1974年の年間チャートは31位、1975年は77位でした。

1974年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞の大賞を受賞し、この年の紅白歌合戦の大トリを飾りました。

「襟裳岬」のヒット以降、フォーク系シンガー・ソングライターが歌謡ポップス系や演歌歌手に楽曲を提供するケースが増えました。
そのきっかけをつくった方のセルフカバーです。


 襟裳岬  吉田拓郎 

ご当地ソングとしても大好きな楽曲ですが、この曲によって襟裳岬のあるえりも町を知りました。^^!


 襟裳岬 森進一