悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES~【1982年リリース】

「悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES~」のオリジナル曲は1982年10月にリリースされ、R&B・ソウルシンガーでシンガーソングライターの上田正樹さんが歌唱しました。

「悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES~」がリリースされた1982年は、福沢諭吉が描かれた新一万円札が印刷され、500円硬貨が登場しました。

このほか、「羽田沖に日航機墜落」「ホテル・ニュージャパン火災」「戸塚ヨットスクール問題」などの出来事がありました。

「ネクラ」「ひょうきん族」などが流行語となり、『北酒場』『さざんかの宿』『夢芝居』『氷雨』『リバーサイド・ホテル』『少女A』『赤いスイートピー』『哀愁のカサブランカ』などの曲がひっとしました。

数あるカバー曲の中からこの方のライブを選曲しました。


 悲しい色やね 桑田佳祐 

発表直後は売れ行きがよくなった「悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES~」ですが、有線放送から火がついて翌1983年にかけて国内における上田正樹さん自身最高のヒット曲となりました。

1988年公開の映画『悲しい色やねん』では主題歌となり、上田正樹さん本人も出演しています。


 悲しい色やね 上田正樹 


Rainy Blue(レイニーブルー)【1986年リリース】

「Rainy Blue」(レイニーブルー)のオリジナル曲は1986年1月にリリースされ、シンガーソングライターの徳永英明さんが歌唱しました。

「Rainy Blue」(レイニーブルー)の週間オリコンチャートの順位は31位。

カバーアルバム「VOCALISTシリーズ」の大ヒットで有名な徳永英明さんですが、デビュー曲は、「Rainy Blue」です。

多くのアーティストの皆さんがカバーする中で、Uruさんを選曲しました。


 レイニーブルー Uru 

徳永英明さんがバイト先の軽井沢で知り合った大木誠さんとともにつくり上げた曲です。

デビューの際に歌詞を一部変更して発表されましたが、元の歌詞のバージョンはライブで歌われることがあります。

ちなみに、徳永英明さんのデビューは24歳10ヶ月なんだそうです。


 徳永英明 Rainy Blue 


仮面舞踏会【1985年リリース】

「仮面舞踏会」のオリジナル曲は、1985年12月にリリースされアイドルグループの少年隊が歌唱しました。

デビューシングルだった「仮面舞踏会」の週間オリコンチャートでいきなり1位を獲得し、1986年の年間チャートは3位でした。

ジャニーズ事務所の後輩の皆さんには、ずっと歌い継がれて欲しい楽曲ですよね。


 Sexy Zone 仮面舞踏会 

少年隊のデビュー曲であり、グループ最大のセールス曲となった「仮面舞踏会」と言えば、1986年の第37回NHK紅白歌合戦に初出場した際に、白組司会者の加山雄三さんに「紅白初出場、少年隊、『仮面ライダー』です!」と曲紹介を思いっきり間違えられてしまった…エピソードが有名です。

イントロ部分の歌詞(Tonight ya ya ya・・・tear)は、錦織一清さんのアイデアで歌詞が付け加えられたんだそうです。


 少年隊 仮面舞踏会 


あゝ無情【1986年リリース】

「あゝ無情」のオリジナル曲は1986年4月リリースされ、歌手のアン・ルイスさんが歌唱しました。
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アン・ルイスさんは、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒットし、
その後、歌謡ロックに転向し1970年代から1980年代にかけて「ラ・セゾン」や
「六本木心中」「あゝ無情」など数多くのヒット曲を連発させました。

もっともっと大勢のアーティスの皆さんがカバーして欲しい…曲ですね。


 西寺実(西田昌史・寺田恵子・二井原実)/ あゝ無情


※西田昌史さん(EARTHSHAKER)寺田恵子さん(SHOW-YA)二井原実さん(LOUDNESS)が、
それぞれの頭文字からとった新ユニットです。

1995年にパニック障害を患ったアン・ルイスさんは、父親の母国アメリカに在住し、
歌手活動の休止しながらファッションやペットグッズなどのデザイン、プロデュースも手がけました。
2013年4月、アン・ルイスが芸能界から完全に引退することが発表されました。

合いの手で盛り上がっていた時代が懐かしいですよね。^^!


 あゝ無情 アン・ルイス 


じれったい【1987年リリース】

「じれったい」のオリジナル曲は1987年4月にリリースされロックバンドの安全地帯が歌唱しました。

「じれったい」の週間オリコンチャートの順位は2位、年間チャートは77位でした。

ボーカルの玉置浩二さんが出演したカセットテープのCMソングになりました。

カセットテープやカセットデッキが定着したのは、1970年代後半からです。

今ではカセットテープで音楽を聴くことはありませんが、
カセットテープやカセットデッキという言葉の響きすら懐かしく感じてしまいます。


 PALU じれったい 

この頃の安全地帯や玉置浩二さんは、脂が乗りきっていましたよね。

「じれったい」は、安全地帯の中でもクオリティが高い楽曲のではないでしょうか。

令和になっても歌い継がれて欲しい曲です。


 じれったい 安全地帯